上本町について
上本町周辺の昔 上本町周辺の今へ

様々な時代のエッセンスがとけあった、上質な文化。

上本町は大阪市内で唯一の高台である上町台地に位置し、悠久の頃には、すぐ目の前にまで海が迫っていたと言われています。 古くは日本書紀にも登場し、聖徳太子が四天王寺を開き、さらには大化の改新の後に、首都や副都として難波宮が置かれたのもこの地です。 今でも、都としての繁栄を物語るように、神社や仏閣が数多く残るのもこのため。 豊臣秀吉の時代には、武家と寺社、商家の山の手の居宅として愛されるなど、様々な時代のエッセンスがとけあい、大阪人が一目置く、静かで深みのある上質な文化と街並みをつくりだしたのです。

今から約一世紀前に、この地に近鉄が誕生。


大正3年4月生駒トンネル

上町台地を代表する上本町は、大阪城と天王寺を結ぶ中間地点にあり、奈良につながる交通の要所として、古くから栄えてきました。 今から約100年前の明治43年、現在の近畿日本鉄道がこの地に誕生することになったのです。 当時の最大の見物は、複線で日本最長を誇る「生駒トンネル」。このトンネルの開通によって上本町ー奈良間を30.6キロメートルで結び、55分での移動が可能になりました。 しかも、「日本一のトンネル」が話題となり、電車は連日満員。 当時の正式名称である「大軌電車」ではなく、「奈良ゆき電車」と呼ばれ、大阪・奈良だけではなく多くの人から愛されていたのです。

文化と都市が折り重なる憧れの場所に。


昭和45年9月の上本町ターミナル

1926年、上本町の駅は、地上7階・地下1階のターミナルビルとして新築されました。 それから10年後、このビルに登場するのが、現在の近鉄百貨店の前身である「大軌百貨店」です。 この百貨店の登場により交通と生活はより密接な関係でつながり、上本町はますます都市としての機能を充実させていきます。 交通の起点としての上本町から、ゆとりある暮らしを満喫できる上本町へ。 歴史ある上町文化と、新たな都市としての魅力が折り重なり、都心にありながら“ゆとり”や“くつろぎ”を味わえる場所として、たくさんの人から憧れを集めています。